葦に千鳥図

熊本には歴代藩主の菩提寺として、熊本城の鬼門(北東)にあたる竜田に泰勝寺(たいしょうじ)があり、裏鬼門(南西)にあたる北岡に妙解寺(みょうげじ)がありました。

有吉家は維新までは熊本城二の丸に上屋敷がありましたが、維新後は京町に本拠をうつし、さらに華族に列した以降は東京に在住していました。昭和22年華族制度廃止に伴い、帰郷した父母は上記の妙解寺の塔頭であった「臨流庵」(りんりゅうあん)を買い取り本拠としました

臨流庵の名前の由来は坪井川と祓川に挟まれた地形にあったことによりますが、この庵は、妙解寺住職の住居であり、また墓参に訪れる藩主などの休憩所として、茶室造りの家屋でした。

前置きが長くなりましたが、冒頭の「葦に千鳥図」はその臨流庵を飾っていた襖絵の一部を額装に仕立てたものです。

作者は4代藩主細川光尚公に仕えた肥後狩野派の初代 狩野成信(しげのぶ)と言い伝えられています。作製は1650年前後です。

肥後狩野派は藩士の子弟が江戸木挽町にあった幕府お抱え絵師狩野家に弟子入りし、修行したのち、家士として細川家お抱えとなった藩絵師です。藩絵師は藩主の命により絵を描くわけで、石高は家禄として頂くので、作品に署名を入れない決まりであったとのことです。