両忘会の話には直接関係ないのですが、僕が茶道をしているのはそもそも亡母が茶道教授者だったからです。秋の彼岸に先立って、今日は墓参のため郷里熊本に日帰りしました。

有吉の家は維新までは熊本城 西大手門を出た二の丸、今は二の丸駐車場になっているあたり一帯に上屋敷がありましたが、父母の頃には熊本城裏鬼門にあった妙解寺門前に住んでいました。
妙解寺は元歴代藩主の菩提寺で、その正門横に臨流庵という妙解寺住職の隠居所がありました。そこを父母が戦後買い取って住んでいました。

下の写真がその臨流庵です。

坪井川と祓川に挟まれた地にあったので臨流庵といいました。庵と言っても広く、母屋には8畳広間の茶室と庭に2畳台目の小間の茶室棟があったほかに、庭は露地造りでしたが野点ができる石炉を組んだ一角も設えてありました。母はその家で茶道や茶懐石や華道を教えていたのです。


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実家の臨流庵は熊本新幹線の建設の時に解いてしまいましたが、菩提寺は坪井にあった元下屋敷の一角に今もあります。

菩提寺は2016年4月に発生した熊本震災で、父母の墓を含め99基あった墓石が全て倒壊しましたが、その内の三分の一程は昨年なんとか再建できました。

写真の奥に見えるのが本堂です。本堂は僕が子供の頃に木造であったのを鉄筋コンクリートに建て替えてたので熊本震災でも大きな被害は免れたのが幸いでした。

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東京ではすっかり秋ですが、熊本はまだまだ夏です。暑さの中、昼過ぎに菩提寺について、まずは位牌所に献香しました。

上段中央の坐像が菩提寺の開基である有吉頼母佐英貴 。僕の家の五代目です。この方のときに肥後加藤家が改易にあい加藤忠広 公は庄内藩にお預けとなって、細川家が小倉から移ってきたのです。
この寺は、その肥後入国後すぐに英貴 が父である有吉武蔵守立行  の菩提寺として開基したのです。その後大阪から初代 立英、京都から二代 立言もここに改葬しましたから、有吉家初代から
21代の父母にいたるまで歴代が居るのです。

位牌所の中央坐像の左右が僕の父母、坐像の後ろの板位牌には歴代夫妻の法号が記されています。震災前にはたいへんな数の位牌があったのですが、震災で大半の位牌が破損しました。壊れた位牌は供養して整理しました。

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菩提寺の墓域の半分に僕の家の歴代が眠っています。
写真右が初代 佐々木将監有吉 公
写真左側の二代 有吉将監立言 公
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こちらの右が 三代 長岡武蔵守立行 公
左がその妻で森和泉守の娘 万 様
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こちらは有吉頼母佐英貴
つまりこの寺の開基です。

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こちらは五代 有吉英貴に殉死された3名の方。
殉死された方はこのように将棋形の墓標をつくり、殉死の対象となった当主の墓近くに祀っています。僕の家では他に6代の有吉頼母英安にも殉死された方がおられ、同様に将棋形の墓標を建てて祀っていますが、他家の場合殉死者をどのように祀っておられるのかは知りません。

その奥に見える塔は有吉家先祖代々の由来が書かれた供養塔で、祖父 二十代有吉立礼男爵が建立したものです。
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そしてこちらが父母。
右が父 二十一代 有吉立生男爵。
左が母 有吉宗暎。

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なにしろ五輪塔なので、震災に弱く、ゴロゴロと落下したので割れてしまい再建できなかった墓が多数で残念です。

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街では壊滅的な被害を受けた熊本城の再建も進んでいるようで、覆いがとれた大天守を見て嬉しくなりました。

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9月16日はちょうど藤崎宮の秋季例大祭の神
幸式が行われており、ドーカイ、ドーカイの掛け声が響いてたいへんな人出でした。

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